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【社会】「母の墓参りをしたい」…ロシア残留の中川義照さん、60歳妹と"初対面"、号泣

1 :諸君、私はニュースが好きだφ ★:2006/07/02(日) 13:44:03 ID:???0
 第二次大戦後、サハリン(樺太)に残ったまま消息不明となり、現在
ロシア・カルムイキア共和国在住の中川義照さん(79)が2日、サハリン州
ユジノサハリンスクからの航空機で新千歳空港に到着、67年ぶりに一時
帰国した。
 中川さんは、同共和国を訪れた妹の千葉豊子さん(75)=北海道美唄市=
と6月21日に61年ぶりに再会。一緒に日本に帰ってきた。中川さんは
「早く母の墓参りをしたい」と話しており、16日まで美唄市などに滞在する
予定。
 中川さんは車いすで空港の到着ロビーに現れ、出迎えの人たちに何度
も手を合わせた。家族が離れ離れになった当時、まだ母親のおなかの中
にいた妹の大累富子さん(60)が花束を渡し、初めて会うきょうだいは涙を
流しながら抱き合った。
 記者会見で中川さんは「帰ってこられるとは夢にも思いませんでした」
と忘れかけていた日本語をたぐり寄せるように小さな声であいさつした。
 中川さんは1926年山形県生まれ。戦前、一家で樺太に移住し、45年
に母と千葉さんらは北海道に引き揚げたが、中川さんと父は残り、その後
行方不明になった。千葉さんは「兄は日本兵と間違えられ、(旧ソ連側に)
連行された」と説明している。
 2001年、中川さんが「一時帰国したい」と日本政府に要請。DNA鑑定
で千葉さんの兄と判明した。これまで2度、帰国を試みたが、体調不良で
延期になっていた。

ソース(イザ!・産経新聞) http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/8345/
動画ソース(NHKニュース)※ソース元に動画あり
http://www3.nhk.or.jp/news/2006/07/02/k20060702000072.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2006/07/02/d20060702000072.html
画像 http://www3.nhk.or.jp/news/2006/07/02/20060702000072002.jpg

2 :名無しさん@6周年:2006/07/02(日) 13:52:50 ID:UjrzyBsg0
妹をゲットしたと思ったら60っすか

3 :名無しさん@6周年:2006/07/02(日) 14:06:41 ID:EmXx3aTC0
「おにいちゃんやめて! そんなとこ舐めちゃだめ!
そこはおしっこするところよ、きたないわ!」


妹は泣きながら言ったが、ぼくは便器を舐め続けた

4 :名無しさん@6周年:2006/07/02(日) 14:30:01 ID:QCD03C2V0
ロシアには元日本兵が結構いそうだな。


5 :名無しさん@6周年:2006/07/02(日) 14:31:31 ID:/zzN53EI0
>>4
オレオレ

6 :名無しさん@6周年:2006/07/02(日) 14:43:53 ID:F99Sh3XY0
おつかれさまでした。ニートが蔓延する素敵な社会ができました。

7 :名無しさん@6周年:2006/07/02(日) 15:50:26 ID:JtUWbjXc0
【日露】サハリン在留邦人 終わらぬ苦難[06/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118069088/
http://whatever.say.jp/program/snap_shot/site/11180756602302/
サハリン在留邦人 終わらぬ苦難
 終戦時まで日本領土だったロシア・サハリン州(旧樺太)南部には「帰りたくても帰れなかった」約二百二十人の
日本人が今も残っている。朝鮮人と結婚していた日本人女性は戦後の引き揚げ対象から外され、差別を避ける
ために、日本人であることを隠す苦境に身を置いた。戦後六十年、深い傷は癒えていない。 (藤原正樹)
 五月十八日、サハリン在留邦人で一時帰国していた木村文子さん(71)=シャフチョルスク(旧塔路)在住=が、
北海道函館市で叔母と五十七年ぶりに再会した。親族が判明したのは今年二月。肉親と生き別れになっていた
木村さんは「会いたかった」と繰り返しながら叔母と抱き合った。
 木村さんは一九三四年、函館市で生まれ、祖父と母親らとサハリンに渡った。母親は朝鮮人と再婚し、木村さん
は十八歳で、朝鮮人の電気技師と結婚、三男一女をもうけた。母や義父、夫は他界し、叔母は四八年に日本へ
引き揚げた後、音信不通になっていた。
■通知外されて… 存命者は約220人
 終戦時、南サハリンと千島列島には、日本人が約四十万人、朝鮮人が約四万三千人いたとされる。四六年十
二月、「ソ連地区引揚米ソ協定」が結ばれ、日本人の大半は帰国した。が、朝鮮人の妻や養子になっていて引き
揚げ通知の対象から外され、「残留が確認された日本人は推計四百−五百人」(厚労省中国孤児等対策室)。
うち七割が女性といわれる。残留邦人を支援するNPO法人「日本サハリン同胞交流協会」(東京都渋谷区)は、
現在の在留邦人は「百人以上が亡くなり約二百二十人」という。
 木村さんのように、韓国・朝鮮人と結婚した日本人女性は多い。樺太は終戦後の八月二十二日まで、旧ソ連軍
との地上戦にさらされた。ソ連兵の性暴力を恐れ、韓国・朝鮮人との結婚を急いだ例もみられる。
(以下略

8 :名無しさん@6周年:2006/07/02(日) 15:53:03 ID:JtUWbjXc0
 永住帰国している須田百合子さん(69)=北海道江別市=は「終戦後、敗戦民族として自信を失った日本人より、
朝鮮人の方が生活力があった。長女を年長の朝鮮人に嫁がせ、家族を養ってもらう日本人が多かった。生きて
いくためには、選択肢はなかった」と振り返る。終戦後、反日感情が高まり、残留邦人は激しい差別にさらされた。
 須田さんは塔路で生まれた。朝鮮人夫妻に里子に出され、「金順愛(キムスウネ)」名で育てられた。十五歳で
写真店を経営する十一歳年上の朝鮮人と結婚。「生粋の朝鮮人と結婚したと思っていた」夫が、須田さんの素性
を知ってから激しい暴力が始まった。「『日本人妻で恥をかく』とむちゃくちゃな乱暴を受けた。翌年生まれた長男
にも日本人の血が入っていると暴力を振るった」
 ユジノサハリンスク(豊原)に今も残る加藤波子さん(75)は、七歳年上の朝鮮人に「結婚しなければ兄貴を殺す」
と包丁を突きつけられ、十七歳で結婚したという。永住帰国している近藤孝子さん(73)=東京都三鷹市=は加藤
さんと親交があった。「波子さんの夫は子どもにアイロンを押しつけて大やけどを負わせたあげく、売り飛ばして
しまった」と振り返る。
(略


『置き去り―サハリン残留日本女性たちの六十年』  吉武 輝子(著) 海竜社
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759308792/250-6225082-6668210
20世紀初頭、日露戦争にによって日本が南半分を領有してからは40万の日本人が暮らしていた。
その中には、太平洋戦争期に入って強制連行されたりした朝鮮人4万人あまりも含まれていた。
 そして1945年の8月、ソ連の参戦=サハリン侵攻によって、在住の日本人・朝鮮人は地獄を体験、死者はおよそ1万人にのぼった。
15日の日本降伏の後にも、ソ連軍による空爆や潜水艦による引揚船攻撃は続き、多大の死者が出ているのは、s寝そうの現場とは
このようなものなのだろうと察しられて、本当に慄然とさせれる。
 そしてそういう最初の悲劇の大波が引いたあとも、もっとも弱い立場にある若い日本女性の上には、新たな苦しみの波が襲った
のだった。すなわち、日本敗戦により戦勝民族となった朝鮮人の中には、日本国家への反感憎悪を近くにいる日本女性に向けて
噴出させた人もいないわけではなかったからである。

9 :名無しさん@6周年:2006/07/02(日) 15:57:26 ID:JtUWbjXc0
7 :  :02/03/26 08:30 ID:udSz507O
レイプじゃないけど意外と知られていないのが、サハリンの残留婦人。
終戦と同時に朝鮮人の乱暴が始まり、十代から二十代の
日本女性が無理矢理嫁にされて、10人からの子供を
産まされている。
子供がいるために日本へは帰れない。
それを左翼婆は、日本人が朝鮮人を差別していた事で
戦後に鬱憤が爆発してそういった行動に出たと説明してた。
おい!不満があったら何しても許されるのかよ。

事実を知れ

「在日と結婚し北に行った日本人妻」はほとんどが好きこのんで在日と結婚
したのでは無いよ。朝鮮進駐軍と名乗って在日が暴れ回っていた頃に結婚し
てる人がほとんど。なぜか? 在日が日本人女性を当時多く強姦してたから。
妊娠してしまい、親との縁を切られた人も結構いた。そういう人たちを奴ら
が嫁(事実上の奴隷)にしたんだよ。朝鮮人が日本人女性を嫁にする=征服、
という価値観が彼らにあったんだよ。
という書きこがあった。

自分はこの話しを信じる。なぜなら樺太に残留した日本人女性を支援する活動
をしているという女性が、NHKのラジオで同じようなことを話ていたからだ。

樺太に残留した日本人女性を支援する活動をしているという女性が、NHKのラジ
オで話ていた。 樺太に残留した日本女性は、ほとんどが終戦後レイプや脅迫によ
って朝鮮人の妻にさせられた女性です。脅迫というのは、自分と結婚しないと、ソ
連当局に密告して家族全員を収容所送りにしてやる、というような脅しだったらしい。
終戦から2年後ぐらい後に日本の船が日本人を迎えに行ったときは、すでに妊娠
していたため帰るのをあきらめたという。

「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年」新井 佐和子 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794207980/ii-22/249-3887511-5097148

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